今月のエッセイ

 
 デザインの力


全国の建築家、都市計画家、ランドスケープデザイナー等で創られている「JUDI都市デザイ会議」関西のフォーラムに久しぶりに出ることになった。私は淡路島へ事務所を移してから大阪で、夜、フォーラムや勉強会を持つこの会へ出る機会が少なくなってしまっている。でも、海外セミナーだけはできるだけ行こうと考えているのだが、夏の大学の集中講義と重なったりして、もう2,3年行けていない。このグループは大学の先生、プランナー、建築家等が多い。結構、真面目にセミナーを行ったり、真剣にまちづくりについて考えたり、ともかくディスカッションが好きなグループである。決してディスカッションばかりではないが、ともかく、いろんな面から都市環境について議論する。お仕事的結びつきはないとはいえないが、お仕事のために一緒にいる関係ではない。メンバーは何人いるか、恥ずかしいが全体数は知らないが、関東、関西、中部、中国、四国、九州と支部がある。JUDIのメンバーであることだけで、なんとなく他の地域へ行っても、その地域のメンバーを気軽に訪ねていけるといった感じがあるのは素敵な会である。セミナーもするがお酒も飲んで議論もするということだ。

阪神大震災の時も、このグループのメンバーがいち早く動いたのだ。今回デザインの力と言うテーマのフォーラムを行うことになった。久しぶりにお呼びがかかったのである。どうして、私にお呼びがかかったか、住民参加の話かなと思ってもいたが、それだけではあまりピーンと来ない。世話役の人のメッセージで「五感」だなと思った。

最近、植物の人の中で五感に訴えるなんていうのは常識になっているが、自分でいうのおかしいが、植物をデザインする時、五感いやそれに心で感じるもう1感を考慮すべきと言うことを言い始めたのは私のような気がする。
私の修士論文は「五感に訴えるまちづくり」で大阪天王寺の夕陽丘や谷町の寺町や今話題の空堀商店街がスタディエリアだった。人々は目に見えているものだけでなく、お香の香り、お寺の鐘の音、夕陽、坂道など五感で町を感じそれを総合させた記憶を心におき、それで新たな空間を捉えると言うことだ。だから、伝統的景観を持つ地域で整備が進められる場合でも、人々の心に何かあるかを把握しなければならないと言うことだ。ちなみに私の育った天王寺区は四天王寺に代表されるお寺と学校と病院、そして坂と夕陽の町田。普通マンションは東側の方が西側より値段が高い。しかし、夕陽丘では西側の部屋が高い。難波がまだ海岸沿いであった大昔、西にむかい、夕陽に手を合わせた「西方浄土」の気持ちになれる空間だ。

 まあ、ともかく私は五感の人で、シンクタンクで都市計画のお仕事をしていた時は香りでまちづくりを提案したぐらいである。

この人々は先ほど言ったようにどちらかと言えば、上から物を考えるプランニングタイプのお仕事の人々なのだが、この人たちの花に対する感覚は非常に情緒的である。震災の時も、もう少し園芸療法の効果を実験してみるとか、花のボランティアで神戸に花の公園、たとえばサルビア公園、スミレ公園などいただいたお花でつくっておけば、その花巡りのツーリズムができ少しでも神戸の復興の助けになるのに、それがお花を下さった方々へのお返しではないかと私は思っていたのですが、あまり関心はなかったようです。私からいえば、花の力、自然の力を知らないのではないかと思うのです。
さてデザインの力とは何かということになるのですが、デザインとは何かと言いたいような気がします。たぶん建築のように図面を書くと基本的に現場で大きな違いが出ると言うことのない分野と、私たちのように植物を扱う人間にとっては、植物ひとつが代わればすべてのデザインがかわってしまうのですから、デザインはただ安心と見積もりのためにしていると言う感じで、細かいことを気にするタイプの私などは、「はじめから出された物でその場で、その時の感覚で勝負する」という考えです。これが多くのお役所の方がには理解してもらえないのですが、状況が変わってもデザインを変えない方がいい加減なのではないかと思います。

私はデザインは設計とは違います。デザインとは、伝えたいことをいかに伝わるかの手法なのです。大切なのは何を人々に伝えたいか何が大切かのメッセージが語れているかどうかなのです。
今回ジャパンガーデンニングフェアで江戸の園芸を紹介しましたが、江戸の園芸を紹介したいために伝統園芸ルネサンスを行ったのではないのです。身分に関係なく、植物を愛し、四季の変化を大切に、自然に合わせ生活空間のしつらえさせも季節ごとに変えていく日本人のライフスタイル、そんな日本が世界の憧れであったということ。町が美しいのは建物が美しいのではなく、景観とは地域の自然とその自然と共生して生きる人々の生き様が創り上げらるものだということ。今、デザイナーがすべきことは自然のすばらしさを五感に訴える形にすることで、「自然に育まれている幸せ」を人々にかんじさせること、また、それらの人々がいきいき生きる生き様をライフスタイルに気づくこと、そのライフを楽しめる空間を、つまり、人々が踊れる舞台をつくりが上げると言うことなのだと思う。

ファションのように様変わりする日本の町、都市計画や建築家が人々が人間の本来の「終の棲家」とは何かを、自然を含めて考えようということに期待をしたい。

新しい形のフラワーイベント

人を育てる植物園

デザインの力

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